例えば私があなたに

「今から俺の宇宙船に乗ってエイリアン退治しに行こうぜ。」 
(本当に行けるとして)

あなたは「おー、いいね、行こう!」なんてまず言わないでしょう。 

あなたはもちろん、「行くわけないだろ・・・明日仕事あるし、家賃払わないといけなし、嫁がうるさいし、子育てもあるし、帰りにスーパーよらないといけなし、ってか疲れたよ。今日は10時間働いたよ。なんでリスク冒して、宇宙なんか行かないといけないんだよ。年金とかどうすんだよ?」 って答える。

人は本質的にだらしないし、楽したい、そして変化なんか面倒。日常がダラダラ続いていく方が気楽だよね。

というわけで 旅立ちを拒否する。99%の人はそうするだろう。なんせ冒険映画の主人公も最初はそうする。まあ、これが日常的な現実ですね。

映画や漫画、ゲームだともっとわかりやすい。
いつか強制的に旅立たないといけない時がくる。 例えばスターウォーズだとルークの叔父と叔母の死である。ルークにはもう選択の余地はない。行くしかない。 ある事件が起きて強制的に旅立つ時がくる。

親はいつか必ず死ぬ。そして自分で食べていかないといけない。

子供の頃、人は規律・服従の世界で育てられ、他人に依存して生きる。成年に達すると、そのすべてを変え、他人に依存するのではなく、自己に責任を負い、主体性を持って生きねばならない。その関門を抜けられないと神経症に陥る基本原因ができる。

ー ジョーゼフ キャンベル

未知の領域に旅立つ時はくる。もちろん危険だらけ。

どんな旅にも最初の試練がある。車で旅に出てパンクするようなことでも。 これが最初のテスト。ここで本当にこの旅を続けたいかどうか?試されるわけだ。だいたいの人はここで引き返す。ところが英雄となる者はこの先に大きな何かがあることを知っている。だから迷わず突き進む。

英雄とは、われわれの内部にひそみ、認識され、活性化されるのをひたすら待ちわびている。

ー ジョーゼフ キャンベル

旅や冒険には師匠の存在が不可欠となる。戦い方を教えてくれる師匠。 ここで修行して、さらなる試練を乗り越えて行く。そしてさらなる未知の領域に行けるようになる。

ところでこの師匠ってなんなのか?師匠とは過去の時代の英雄である。 若い頃に大冒険を経験しているから、若い世代に教えられるわけだ。

未知の領域を進んで行くとラスボスと対決する時がくる。その先には聖杯がある。 もしくは姫が待っている。だいたい主人公はラスボスに一回負ける。そこで戦略を考え直さないといけない。

ここでこの冒険で最も大切なフェーズに入る。

戦略を考え直すこと=発想を転換すること

世界の見方を変えること。つまり英雄は自分自身と対峙しないといけない。自分の中の恐怖、不安、欲望と対峙する。自分の中の悪魔と戦う。実は本当の敵は自分の中にいたことを知る。 

自分に打ち勝って初めてラスボスを倒せる。そして聖杯、お宝、姫を手にできる。

ところが英雄は聖杯を手にして初めて気付く。 実はここで終わりじゃない。本当だったらお宝を手にして、「その後、幸せに暮らしましたとさ」になるはずだった。

この旅の目的はお宝を手にするためじゃなかったんだ、お宝を手にするまでの成長のことだったんだ。

聖杯の存在とは、自分の成長に気付くためにあったのだ。

英雄はもう「お宝」なんてモノを所有することなんてどうでもいい。英雄が何者かになった自分の経験に幸せを感じる。 

物語の最大の本質。それは何を手に入れたかじゃない、何者かになったという経験。

この後、英雄は故郷に帰還する。 自らの体験をしたことシェアするために。
しかし皮肉なのは、故郷の人たちは彼の体験や知恵を理解しようとしない。なぜなら故郷の人たちは大冒険を経験していないから、英雄の言っていることがまるでわからない。だから英雄が体験を語れば語るほど、周りの人に変人扱いされる。そして英雄は引退し、引きこもる。いつの日か旅立つ新しい英雄が現れる時まで。そして英雄は今度は師匠となる。 

ここで物語は円環構造となって完結する。なんか見事な円ですね。 これがジョーゼフ・キャンベルが導き出した英雄物語の方程式。


ジョーゼフ・キャンベルは神話学者で古今東西、全世界の神話を研究し物語の中のパターンを発見した。

アジア、ヨーロッパ、アフリカでも 。それぞれのモンスターやラスボス、お宝や姫も違うけど、構造は同じ。

スターウォーズ、ロードオブザリング、ハリーポッター、マトリックス、ドラクエ、ファイナルファンタジー etc

この構造を理解することがすごく大切です。なぜなら自立した人生の構造だから。

でもこんな冒険を現代社会でどうやってやるんだよ?

ここでもう一度日常に戻って欲しい。
実は大切なのこの目に見える物理的な冒険じゃない。 本当の大冒険は日々、自らの中で行われている。実は映画、ゲーム、漫画にあるような悪と戦う正義のヒーローたちの大冒険は比喩でしかない。
普通に考えれば日常にラスボスなんていない、モンスターはもちろん、実は純粋な悪人すら存在はいない。

実はこのモンスター、悪人、ラスボス、ダースベイダーはあなた自身なのです。 

あなた自身が悪に加担しているのです。さもなければ生きてゆけませんから。あなたが何をやろうと、それは他の誰かにとって悪なのです。

ー ジョーゼフ キャンベル

そうなんです。 これらは自分自身のエゴと戦っている姿を投影したものです。

人生において本当の意味で外敵など存在しない。 ここは日々、映画や漫画なんか見ていると理解するのが難しい。正義の味方が悪を叩くのが爽快だしわかりすいからからそういう風に表現されている。今度から映画を見る時この点を注意して見てると面白いです。正義の味方も悪も自分の中の戦いなのです。

冒険の目的はあなたの好きな道で精一杯生きること。

われわれは生きることの意味を探っていると言いますが、人間がほんとうに探求しているのは、たぶん生命の意味ではありません。人間がほんとうに求めているのは、いま生きているという経験だと思います

ー ジョーゼフ キャンベル


これが真実です。真実=聖杯。

聖杯とは。 お宝や姫じゃない。聖杯は銀行口座に入れられない、配当金なんて出ない。聖杯でマイホームを買えない。

そして
未知の領域とはあなたの心から進みたい道のメタファー。

ところが悲しい現実は、人生も半分過ぎてしまっているのにまだ冒険に出てない人が大勢いる。 ほとんどの人は周りの顔色を伺いながら、ただ欲望に従って生きいる。冒険に出なくて良い言い訳を考え続けている。その先にあるのは

クレジットカードでモノや異性を追いかけるだけの人生。これが人生のトラップ。

あなたの人生をただひたすら苦しいものにするのは何でしょう。それは欲望と不安です。何かを求める欲望、人にとりついて人を騙す欲望、そして何かを失いはしないかという不安。

ー ジョーゼフ キャンベル


実はあなたに冒険されちゃ、社会や世間は困るんですよ。真実を発見されちゃ困るんですよ。皆と同じように嫌な仕事を我慢して、35年ローン組んで、消費していればいいのです。だって社会は消費を前提に成り立っているから。これが社会の「〇〇すべき論」 。だから社会や世間に反して自分の好きな道を追求することは孤独を意味します。


もはや従うべき規則はない。歴史的必要から生じた規則も、地域社会のなかでの義務もない。そこにあるのは、開花した人生を生きようとする純粋な衝動です。

ー ジョーゼフ キャンベル


ダース・ベイダーは自分の人間性を発達させていなかった。彼はロボットだった。自分自身の意志ではなく、押しつけられたシステムに従って生きる官僚だった。これは今日私たちみんなが直面している脅威です。〜自分自身の理想をしっかり持ち続けること、そしてルーク・スカイウォーカーがしたように、システムがあなたをロボット扱いしようとするのを拒否すること。

ー ジョーゼフ キャンベル



結局は冒険は自分で体験しないと理解できない。人の話じゃ理解できない。だから英雄が帰還しても誰も理解できない。 本じゃ読めない。理解できる唯一の方法は行動すること。 

自らの道を進もうとする時、家族や友達や同僚から引き止められるだろう。「お前気が狂ったかって言われる。」しかし、社会や会社はあなたを絶対幸せにしてくれない。幸せは外注できないし、親も与えてくれない。 師匠ですらその方法を手取り足取りを教えてくれない。

安全な道が実は安全ではなく、探求の豊かさが積み重なっていくような道が正しい道なのです。

ー ジョーゼフ キャンベル


自ら行動することよってしか経験できない。

行動せずあなたは死ぬときに後悔するのか?それとも周りの反対を押し切ってドラゴンを退治しに行くのか?

自分の無上の喜びを、至福を追求しなさい。宇宙はあなたのために、壁しかない場所に扉を開くだろう。

ー ジョーゼフ キャンベル