社会の「あるべき論」から自由になる方法とは?

一般的に勉強といえば、スキルアップやテスト点数
アップがイメージされていますよね。本屋に行ってもそんな感じです。不安を煽って、組織の中で結果を出すことを前提とした本が多いです。


しかしそもそもなんで勉強するか?を考察した本は少ないです。

キーワードは言葉なんです。その言葉こそ、われわれを縛る社会の規範なんですよ。

・いい会社に入って一生我慢しないといけない。
・結婚しないといけない。
・スキルアップしないといけない。
・消費しないといけない。

所詮これらは全部言葉なんですね。われわれは言葉の奴隷なのです。
そこから自由になる勉強とは?

勉強とは、自己破壊である。まずは、これまでと同じままの自分に新しい知識やスキルが付け加わる、という勉強のイメージを捨ててください。むしろ勉強とは、これまでの自分の破壊である。そうネガティブに捉えたほうが、むしろ生産的だと思うのです。

多くの人は、勉強の「破壊性」に向き合っていないのではないか? 勉強とは、自己破壊である。では、何のために勉強をするのか? 何のために、自己破壊としての勉強などという恐しげなことをするのか? それは、「自由になる」ためです。どういう自由か?これまでの「ノリ」から自由になるのです。

私たちは、基本的に、周りのノリに合わせて生きている。会社や学校のノリ、地元の友人のノリ、家族のノリ……そうした「環境」のノリにチューニングし、そこで「浮かない」ようにしている。日本社会は「同調圧力」が強いとよく言われますね。「みんなと同じようにしなさい」──それは、つまり「ノリが悪いこと」の排除です。「出る杭は打たれる」のです。しかし、勉強は、深くやるならば、これまでのノリから外れる方向へ行くことになる。


ほんとこれ!社会でも学校でも同調圧力を要求されます。でも本当の勉強とはその見えない圧力とはなんなのか?問える能力なのです。


本書は、「勉強しなきゃダメだ」、「勉強ができる=エラい」とか、「グローバル時代には英語を勉強しなきゃ生き残れないぞ」とか、そういう脅しの本ではありません。むしろ、真に勉強を深めるために、変な言い方ですが、勉強のマイナス面を説明することになるでしょう。勉強を「深めて」いくと、ロクなことにならない面がある。そういうリスクもあるし、いまの生き方で十分楽しくやれているなら、それ以上「深くは勉強しない」のは、それでいいと思うのです。生きていて楽しいのが一番だからです。


深くは勉強しないというのは、周りに合わせて動く生き方です。状況にうまく「乗れる」、つまり、ノリのいい生き方です。それは、周りに対して共感的な生き方であるとも言える。 逆に、「深く」勉強することは、流れのなかで立ち止まることであり、それは言ってみれば、「ノリが悪くなる」ことなのです。  


自分の好きなことを追求していくと、自然と孤独になりますよね。まわりから浮きます。わたしもそうでした。イビサ島のダンスミュージックにハマったときなんて、まわりから変人だと思われました。

確かにまわりに合わせて、何も考えないって楽ですよね。

でも、仕事していて思うのですが、ルールだけ盲信している人なんてアホにしか見えないです。逆にコイツ、ルールがなかったら何で判断するのだろうかと心配になります。

サラリーマンなんて、ノリ良さだけで評価されているようなもんですよ。


筆者は同調圧力を脱去する方法として、非常にシンプルで強力な技術を提示しています。


それはボケとツッコミ。


ツッコミ:コードを疑って批判する 
ボケ:コードに対してズレようとする


これまでの自分は、環境のなかで保守的に生きてきた(保守的状態)。それは、環境における「こうするもんだ」=コード。


本書ではツッコミをアイロニー、ボケをユーモアと置き換えています。頭のいい人って日頃から会話の中で実行していますよね。

アイロニー ➡︎ そもそもなんで働くの? 思考を垂直に展開
ユーモア  ➡︎ 不倫って音楽みたいだよね。思考を水平展開

アイロニーは「根拠を疑う」こと。  ユーモアは「見方を変えること」である。
自分のこれまでのあり方と違う視点で世を俯瞰できますよ。

好きな分野に意識的にこの枠組みを当てはめてみましょう。めちゃめちゃ遊べます。本当は思考するだけなら、そこは自由なのです。例えば、世の会社が全部が倒産したら、どうなるか考えてみてください。

われわれは言葉の奴隷なのです。

本当の勉強に答えなんてないし、結論もないのです。わたしも今日も勉強ですよ。身銭を切っていろいろ試してみたいです。行動あるのみ。

ネット上の事実とデマ、そして多様な価値観が溢れる時代の貴重な指南書になりますよ!