読後感ハンパないです。今年オススメしたい本No1ですね。

現代を生きる上ので違和感を、その圧倒的な知識と丁寧な論理でひもといてくれます。本当に慎重な論理展開をしてくれます。なので哲学とか苦手な人でも、案外読破できちゃいますよ。

現代の違和感とはなんなのか?

21世紀にはナショナリズムの時代が終わりグローバリズムの時代に移行するといわれてきたがそうではなく、その2つが全然折り合いが付かないまま重なっている時代。たとえるなら頭はナショナリズムなのに体はグローバリズム、という二重人格みたいな状態になっている。

トランプ、ブレグジット、ISIS、今の日本もそう、共同体の価値観を正義とし、強烈に内向きになる国家。一方で国境を越えて、利潤や快楽のみ極限ま 追求するグローバリズムが世界を覆ってます。

ナショナリズムとグローバリズムという二層構造の社会と言うことです。この両者は統合せずに別々に併存してます。

どちらも、どこか暴力的ですよね・・・

これは国家やイデオロギーという規則に、縛れた人間になるか、消費や欲望に忠実な孤独な個人(動物)になるかとうことを突きつけられています。これが日々われわれが、消耗していることの正体でしょうか・・・

いまや左右のイデオロギー対立ではなく、世界をナショナリズム対グローバリズムと俯瞰すると、なんとも腑に落ちますね。政治的には、境界があっても、経済的に見たら世界は繋がっています。

リバタリアニズムはグローバリズムの思想的な表現で、コミュタリアニズムは現代のナショナリズムの思想的表現である。そして、リベラリズムは、かつてのナショナリズムの思想的な表現だ。リベラリズムは普遍的な正義を信じた。他者への寛容を信じた。けれどもその立場は20世紀後半に急速に影響力を失い、いまではリバタリアニズムとコミュタリアニズムだけが残されている。リバタリアンには動物の快楽しかなく、コミュタリアンには共同体の善しかない。このままではどこにも普遍的な他者は現れない。それがぼくたちが直面している思想的な困難である。

そこに救いはないのか?

要するに、われわれは寛容がない時代を生きているのです。 他者を、受け入れる優しさみたいなものですね。ちょっと乱暴ですが。

そこで著者が提示するのは「観光客」と言う概念です。

観光客とは特定の共同体に所属しつつ、消費の欲望に基づいて、ときどき別の共同体を訪ねることです。多くの人がこの二層構造を往復する中で予期しない出会いがもたらされ、国境を越えた、新たな人類の連帯を作り出す可能性も秘めているということです。

世は、共同体の規則や価値観に従うのか、それとも個人が自由に利益を追求していくと世界と、どちらが良いか論争を繰り広げてきました。

どちらも共通しているのは、エリートからの上から目線なんですよね。 人間はこうあるべきだ、と言う理想で世界を一つにしようとしてきたわけです。 そこでは、常に大衆が置き去りにされてきました。

限られたものしかたどり着けない世界観や人間像を、前提に議論をしてきたわけです。ところが、現実には大衆が主人公で、大衆とは労働者であり、裏を返せば消費者なのです。この消費する大衆の欲望を否定しては、世界や人間を正確に叙述できません。


観光客

そこで大衆の欲望を考慮したのでが、観光客の概念です。

大衆が快楽や欲望を求めて、自分の共同体から別共同体に旅すること。その旅先でにの発見や、新たな繋がりがこの二層構造の世界に影響を与えるのです。

この旅先での、偶然を著者は誤配と言います。

誤配すなわち配達の失敗や予期しないコミュニケーションの可能性を多く含む状態。帝国の体制と国民国家の体制のあいだを往復し、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在。

いいですね。この予期しない偶然によって新たに世界が繋がっていく感覚。


憐れみ

インターネットは、異なる考えを持つ人々を繋げる理想がありました、ところが現実には、これまでにない分断を起きています。

富を再分配するかと思えば、トップ1パーセントに富が集中する構造生み出し、SNSが生み出したのは、異なる価値観の他者とつながることでなく、同じような考えを持つもので固まることです。

似た考えをもつコミュニティは、異論を排除し自らの考えを補強してきます。最悪それはフェイクニュースとなり、さらに他者に対して憎しみを助長してきました。

皮肉なことに、グローバリズムと言うメカニズムが、現代のナショナリズも生み出してきたのです。

難民問題を例あげるまでもなく、他者を憐れむことこそが、逆に自国の弱者をないがしろにしてきました。

著者は、ここで大衆が自らの欲望にしたがって移動する、観光客に期待します。移動先での偶然の出会いに、価値の転換があると言うのです。

理想を掲げて他者を憐むのではく、偶然の出会い中の憐れみこそ、世界や人々を変容するのです。そこに「べき論」はありません。

それは誰かに命令されて、世界を救うことでなく、自らの中に、偶然湧き上がる感覚で他者に接することなのです。

人が本来だったら行くはずのないところに行き、会わないはずの人に会い、考えないはずのことを考える。自分が本来、やらなくてもいいはずのことをやってしまう機会が『観光』。

本書は、普遍的なことを語りながらも、現代におけるジレンマとその悲しさを切り取っています。名著たる所以です。